いっそ生活保護なら良かったのに説
今日はMust-doな仕事は少なめでラッキーでした。
それなのに、溜まってた事務作業が案外減らなかったのは……うん。
話変わって、この前たまたま読んだ、発達障害の当事者コラムにて
「とにかく金と時間と◯◯の使いかたが難しいのだ」との記述がありました。
おそらく肝心であろう3点目の◯◯が思い出せないのが残念だけど、
たしかに金と時間さえあれば、とりあえず大丈夫だろと思ってる自分がいて。
それくらい「支援ってつまるところ『金と時間の捻出』でしょ」と
日頃から意識している証拠なのかもしれないな、と。だから◯◯は忘却の彼方へ。
「金と時間」に関して、支援の現場に入って痛感したことのひとつに、
ほどほどに金がないから障害福祉サービスが使えない人がいる、ってのがありました。
一般就労が難しい利用者に対して、安易に「就労移行や作業所に通ってみましょうか」
なんて言ってしまった直後に「でもその間の収入はどうすれば良いんですか」と
やや攻撃的な口調で返されてしまって。ばつの悪い沈黙を迎えてしまって。
障害福祉サービスの利用料金はほとんどかからないにしても、数ヶ月単位で
交通費や食費の見込みが立つ世帯じゃないと、作業所なんて通えないんですね。
この「交通費や食費の見込みが立つ」手段の最たるものがなんなのか?
そう、それが生活保護という制度なんですよね。
病気・障害で働けない→収入がない→生活保護→作業所にて福祉就労
ってのが教科書に載ってるような黄金パターンだと思うけども、世の中には
病気・障害で働けない→収入激減も生活保護に至らず→福祉サービスが使えない
人がたくさんいるし、福祉的介入の機会が失われ、一般就労がより遠のく場合もある。
もちろん、医療サービスを受けるにしても、結構な金額が必要になってくる。
デイケアだって1日600円ぐらいかかるし。自立支援医療を使っていても、
生活保護じゃないと週に何日も通えない。ただでさえ診察&薬代がかかってるから。
結果として、生活リズムの安定や対人コミュニケーションスキルの獲得ができず、
生活保護レベルにまで病状悪化&困窮化を待つ日々を過ごす人がいる。
そんな人が、最後の力を振り絞って、生活保護を申請したところ、
まだ資産があるとして保護開始に至らなかったとしたら?
あるいは、「以前申請して断られた」「世間様に迷惑をかけたくない」として、
保護申請自体を控えてしまうことになったら?
そんなこんながあったもんだから、最近は努めて「金と時間」を確認していく、
言い換えると、「利用者が持つ現在の資産を、将来的展望とともに捉えていく」
アセスメントをおこなっています。具体的な取り組みについては、
もうすこし人様に説明できるレベルに達してから紹介できればと思います。
今日の日誌おわり。明日以降は、しばらく下らない話が続く予定。
ソーシャルワーク研究 Vol.42No.4 特集:あらためて現代的貧困(生活困窮)を問い直すソーシャルワ
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