Let's see what I'm up to

福祉とか心理とか語学とか読書とか

絶叫しながら読みたい、精神科ソーシャルワーカーの恋愛小説『風の音が聞こえませんか』

PSWが出てくる小説無いかな~」と探したら、とんでもない作品に出会ってしまった。 

風の音が聞こえませんか (角川文庫)

風の音が聞こえませんか (角川文庫)

 

  もし、愛した人が精神を病んでいたら――。幻聴や妄想に苦しめられ、アパートにひきこもった晃(ひかる)の訪問指導を引き受けた新人ケースワーカーの美知。晃と気持ちを通じあうことは容易ではなかったが、美知のひたむきさに、晃は少しずつ心を開き始める。美知も晃の純粋さに安らぎを見出していく。だが、美知は晃の主治医・佐伯にも惹かれていくのだった…。優しさ溢れる筆致、美しいラストシーンが胸を打つ、究極の恋愛小説。

 あらすじからして恐ろしい。案の定ワーカーとクライエントが恋愛関係になる系の話。そりゃまぁ、「ソーシャルワーカーの恋愛小説」という時点で想像はつくけども……。ただ、それに輪をかけてすごいのは、クライエントの主治医ともデキちゃうことだろう。ワーカーの倫理綱領とかすっ飛ばして、クライエント&主治医の間で揺れる主人公の姿は、絶叫なしでは読み進められない(反語修辞)。ページをめくるたびに「ウソでしょ~」と叫びたくなる展開の連続だった。

平成初期のPSW奮闘記

 舞台は1990~1992年ごろ(作中で”精神保健法の改正が近い~”という表現があることから1993年の少し前と予想される)。某都市圏の保健福祉センターで働き始めた新人ワーカー、川村美知がとあるケースを任される。そのクライエントは、20代後半の男性、統合失調症患者、杉浦晃であった。晃の自宅訪問&服薬指導を続けるうちに、美知は晃のもつ不思議な魅力に気づいていって……、みたいな話。まだ統合失調症が「精神分裂病」と呼ばれていた時代にあって、PSWの国家資格は存在しない。美知の肩書きも、単なるセンター相談員(精神保健福祉相談員?)となっている。

とにかく主人公がハチャメチャ

 主人公の美知だが、ワーカーとしてはジャンプの主人公ばりの熱血女子なのである。クライエントである晃への自宅訪問も、センターでの仕事を定時で上がってからわざわざ向かっている。訪問指導って相談援助の一環として、業務時間内に行くもんじゃないの?美知の熱血さに後押しされ、晃が回復の兆しを見せると、美知は喜びのあまり、晃の手を握って「私たち似てるね」的コミュニケーションを取り始める。読者のオレは驚きのあまり、「オレが20代女性のクライエントの手を握ったら……」とあらぬ勘ぐりを始める。さて、単なる熱血PSWの活躍劇であれば良かったのだが、この美知ちゃん、20代女性としてはレディコミばりの恋愛女子なのである。彼女の色恋沙汰が、花とゆめレベルではないことに注意して頂きたい。もっとも、美知自身が恋愛至上主義者なのではない。しかし、彼女のやや感情に流された振る舞いが、周囲を巻き込んで恋愛関係へと発展していく。

徐々にヤバくなる主治医

 晃の主治医、精神医療センター勤務医の佐伯慎ニも、美知に負けず劣らず危険な人物である。美知との出会いは、晃のケースに関する相談(スーパービジョン?)がきっかけ。若き名医の佐伯だが、物語序盤では転移感情の危険さについて美知に助言するなど有能さを発揮していた。しかし、中盤以降は元カノと美知を重ねるなど私生活での転移感情を堂々と宣言する乱心ぶり。ちなみに作者は、別名義の新書執筆でめっちゃ儲けている精神科医の方なのだが、Love is blindを地で行く医者の描写は誰かモチーフがいるのだろうか。

自分ならどうするか目線で読むと面白い

 やはり文芸作品、現実世界と比べればご都合主義のオンパレードであるが、ソーシャルワーカーならば実際に遭遇するであろう問題もしっかり描かれている。ワーカーとクライエント間の恋愛感情の処理はもちろん、お金の貸し借りや秘密保持を迫られる場面も多い。自分のソーシャルワーク観と照らしあわせて、なにが良くてなにが駄目なのかをひとつひとつ検討してみると、恋愛小説の枠を超えた楽しみかたができる。 

新米ワーカーのみなさん、ヒマなら読んでみて

 まともな恋愛小説を読んだことのない自分が「これはまともな恋愛小説ではない」と断言するのはいささか気が引ける。とはいえ、精神科ソーシャルワーカーが主人公で、これ以上ないくらい、ド直球のソーシャルワーク(とその失敗体験)をしている作品は珍しいので是非読んでもらいたい。そして感想を聞きたい。語り合いたい。本作品は序盤が朝ドラ、中盤昼ドラ、後半は海外ドラマにも似た怒涛の展開である。現役ワーカーはもちろん、一般の読者にも色んな意味でオススメできる一冊である。

 

 

『異常』でなければ『普通』でもない人々

f:id:Najdorf:20160522231349p:plain

有志の勉強会にて、「『普通』という言葉が嫌い、普通ではない人々に『異常』を押し付ける言葉だから」と話す参加者がいた。そこで自分は反射的に「『普通』と『普通じゃない』を分ける基準とはなにか」として、異常心理学の話題に持ち込んだ。

異常心理学における『異常』の基準例

適応的基準 適応~不適応 ぼっちは異常

所属する社会に適応できているかどうか。他者によって判断される社会的判断(GAFで測るのがこれ)、本人が感じる主観的判断に大別される。

価値的基準 規範~逸脱 犯罪者は異常

判断するための理念体系の範囲内に収まっているかどうか。理念体系は、生活的判断(道徳観・社会通念)、理論的判断(理論モデル・法律)に大別される。

統計的基準 平均~偏り 赤点は異常

集団のなかで平均から外れていないかどうか。質問紙法など主に量的な心理テストによって得られたデータのうち、平均値から著しく離れたデータを示す被験者は『異常』と判断される。

病理的基準 健康~疾病 患者は異常

精神病理学による医学的判断(DSMなど)によって疾病とみなされるかどうか。専門的な判断を要するため、医師がこれを行う。

人はいろんな面で異常である

 『異常』の基準は多元的なものなので、たとえば彼女に 「あなたって普通じゃないよね、っていうか異常」と言われてフラれた場合、彼氏が憂慮すべきは「彼女の言葉通り、自分が世間一般と比べておかしいかどうか(統計的基準)」、「彼女の価値観から大きく逸脱した接し方だったかどうか(価値的基準)」、「職場恋愛だったため、これから同僚の視線がキツくなるかどうか(適応的基準)」、「フラれたことで気を病まないかどうか(病理的基準)」を同時進行で判断しなければならない。じつに大変である。

わざわざ「普通でないこと」を告げる必要があるのかを吟味する

結局、勉強会では「仮に統計的基準で『異常』であっても、それを当人に告げる際には大きなリスクを伴う。つまり、普通でないことを告げる行為自体が話し手の価値的基準に拠るのではないか」という議論の着地を見せた。『告知』というワードは、ガンや精神疾患など病理的基準の文脈で多く登場するけど、そもそも人間は、日常会話でも些細なことから重大なことまで告げ合うよなあと思って聴いていた。ソーシャルワーク実践において、ストレングスモデルやバイステックの個別化の考えも、生半可な理解で用いると「単に人と違う事実」を告げるだけになってしまう。結果的に当事者のスティグマを刺激する恐れがある。

『普通』は言ったもん勝ち

本題に戻る。なんで『普通』に嫌悪感を持つ人がいるのか。それは、『普通』という言葉に透けて見える、マジョリティがマイノリティを排斥しようとする意識に対する不信だろう。統計的基準にかこつけた、価値的基準のレッテル貼りとも言える。また、『普通』を連呼する話者自身が『普通』側にいることを誇示して安心感を得ようとしているのだろう。

散々ここまで書いておいて、数年前に読んだ社会学の本で「『普通』に憧れる若者たち」というフレーズがあったことを思い出した。『普通』に対する不信は、「『異常』でなければ『普通』でもない自分」として、世間に埋没する恐怖感にも由来するんだろうなあ。 研究仮説の種になりそうなテーマが頻発する、実りある勉強会であった。以上(←これが言いたいだけ)

 

以下、参考資料

 

よくわかる臨床心理学 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)

よくわかる臨床心理学 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)

 

 

異常の構造 (講談社現代新書)

異常の構造 (講談社現代新書)

 

 

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)

 

 

新編 普通をだれも教えてくれない (ちくま学芸文庫)

新編 普通をだれも教えてくれない (ちくま学芸文庫)

 

 ↓たまたま見つけて面白かった論文

ci.nii.ac.jp